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ドクターこばの「ルーツ」―愛犬「はぐ」のこと,出会い―

この小さな家族は今から16年前に我が家にやってきた.ちょうど娘が高校に進学し,それを期に「犬を飼いたい」と言い出したのがきっかけだった.私は当時どちらかというと猫派で,生涯犬を飼うことはないだろうと思っていたのに・・・である.
妻はとても乗り気で,ご存じの通り家は3人家族であったので,私が「No」と言う選択肢はなかった.3人で近くのペットショップに何度も足を運び,トイ・プードルがいいのではないかということになった.猫派の私であったが,犬も愛くるしく,こういう家族がいてもいいよなとすこしずつ思うようになった.
私がちょうどマイアミに学会に行っているときに,「家族になるトイプーを決めました」というメールが写真付きで入った.おいおい,私には家族を選択する権利はなかったのねーと,すこし寂しい気持ちになったが,娘の提案で,娘が選んだのだから,と納得した.学会から帰宅し,選んだトイプードルを見に行くことになった.
そもそも,プードルは飼いやすさ,知能の高さで全犬種人気ナンバーワンであり,「プードル」の語源はドイツ語の「pudel」であり,「水辺でバチャバチャ音を立てる」という意味らしい.泳ぎも得意で鴨猟の回収犬として用いられていたようである.「プードルといえば,元気に飛び跳ねている」というのが多くの人のプードルに対するイメージではないだろうか.
はたして,家に来るトイプードルはどんな子なのだろうか.楽しみにして会いに行った第一印象はというと,一瞬頭の中に?が三つほど飛んだ.ケージの中の彼女は,ちょっと寂しげな表情で,子供らしくない落ち着いた表情でゆっくりと歩いていたのである.「ノッシノッシ」という表現がふさわしい.同時に生まれた兄弟犬があと2頭いたのであるが,その2頭は狭いケージに頭をぶつけながら,飛び跳ねて走り回っていた.後に妻に聞いた話であるが,妻も娘がどうして彼女を選んだのか不思議に思ったらしい.
予防接種などを終え,数週間後に我が家にやってくることになった.ペットショップから家までは段ボール箱に入れられ,車で運ぶことになった.後部座席に娘のとなりに段ボールが置かれていた.突然「ゴソゴソ」と彼女が音を立てた.驚いた様子で娘が「動いとる・・・‼」と叫んだことをよく覚えている.生きているもの!ごもっとも.
彼女の名前はすでに決まっていて,「はぐ」と名付けた.おわかりの通り抱擁のhugである.娘の名前は私が決めたが,彼女を命名する権利は私には与えられなかったようである.自宅に帰り,いよいよ段ボール開封,ご対面だ.ビデオ撮影をしながら「いらっしゃい,はぐちゃん」と取り出したところで,ビデオカメラに当時はテープだったのだが,テープが入っていないことに気づいた.もちろん,take 2,撮り直し,やらせですね.
犬は周りの人間に順位付けをするらしい.はぐにとっての我々家族の順位はどのようだったか.しばらくは私が1番,妻が2番,娘が3番であった.その理由はというと,初めて餌を与えた私が1番,日中一番接する機会のある妻が2番,娘が3番であった.このちょっと寂しげな「はぐ」は,自分のペースで人に寄って行きたい性格で,人様のペースで犬をかわいがりがちな娘は,残念ながら長い間3番のランク付けであった.時が経つにつれ,「はぐ」の良き理解者である妻に1番の座を明け渡すことになり,私は2番手となっていく.―つづくー.

MRI入れ替え

昨年10月〜12月、MRIの入れ替え工事が行われました。

最新型AI搭載MRIを導入するため、まず、12年間使用したOpen MRIの搬出工事が深夜に行われました。

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(当院で12年間使用したOpen MRI)

Open MRI はスポーツ競技特有の肢位(膝屈曲、肩挙上など)での撮像が可能なことや閉所恐怖症の選手でも検査できることからとても有用でしたが、永久磁石のため磁場が弱く解像度が低い欠点がありました。

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(患者様の緊張をほぐす為、季節により壁画を入れ替えていた癒しの空間)

AIの技術が進歩し、昨年Deep Learning搭載MRIが登場するタイミングを待って、満を持して導入しました。
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(GE: Intelligent Scanning Using Deep Learning for MRI より)

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(深夜に行われたMRI入れ替え工事の様子)

入れ替えには3ヶ月間を要しましたが、順調に工事も進行し、新年初日(1月5日)稼働に間に合いました。

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これから大いに活躍してくれることと思います。

三菱重工相模原ダイナボアーズチームドクターとしての活動

初めてブログを書かせて頂きます、横浜市立大学整形外科の草場洋平と申します。
八王子スポーツ整形外科に非常勤として勤務させて頂いてから早8年が経ちました。
現在は主に膝関節専門外来と膝関節鏡手術、PRP療法を担当しております。
スポーツ選手、愛好家の皆様の怪我に対し、より良い治療を提供できるように日々奮闘しております。

スポーツ現場では、神奈川県相模原市に拠点をおく三菱重工相模原ダイナボアーズというラグビーチームのチームドクターをしております。
国内最高峰のリーグワンに所属し、昨シーズンは10位という成績でした。国内・外のプロ選手、三菱重工の社員選手が56名、スタッフ37名の大所帯です。選手は世界的な有名選手はいませんが、元ニュージーランドやオーストラリア代表、元日本代表のベテラン、無名ですが成長著しい若手など個性豊かな選手が揃っています。

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ラグビー選手に特徴的なのが、皆本当に性格が良く、お互いやスタッフに対してリスペクトを忘れず、またユーモアも忘れず、素晴らしく気持ちの良い集団を作っています。
ラグビーは痛みや怪我に耐えながらチームのために体を張る競技であり、人格形成を促すスポーツであることを常々実感しています。

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チームドクターとしての仕事は多岐に渡ります。
チームにはトレーナーというチームと行動をともにしているメディカルスタッフがいます。そのチーフトレーナーと日々連絡をとりあい、選手の状況を話し合っています。家族よりもヘッドトレーナーと連絡を取ることの方が多く、通常の病院勤務の他にもう一つの仕事が常に頭にあるという状況です。
また、チームにより良い医療を提供できるように、地元の相模原協同病院や八王子スポーツ整形外科に多大なご協力を頂いています。日常の怪我に対してだけではなく、一年に一度心臓疾患を含めた全身の検査をするメディカルチェックや、コロナやインフルエンザなどの感染症への対応、また選手の家族に対しても快く医療を提供して頂いており、本当に感謝しております。有難うございます。チームと病院の関係を円滑にするのもチームドクターとして重要な仕事と考えています。

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試合中はグラウンドのピッチサイドにいます。選手が怪我をするとピッチに入り、選手がプレー続行可能か判断しインカムでコーチ陣に伝えます。サッカーなどは審判の笛が鳴らないとドクターはピッチに入れませんが、ラグビーは自分の判断で入ることができます。選手の状況を瞬時に判断するのには、緊張感や責任もありますが、試合に参加している感覚がありスポーツドクターとしてのやりがいを感じます。また、試合後はチームの勝ち負けに一喜一憂し、選手、スタッフとそれを共有できるのも大きな喜びです。

昨年、シーズンを通して大きな怪我が多く生じ、自分が専門とする膝の靭帯の手術も例年になく多くなりました。今シーズンは秋から練習試合が始まり、自分が手術した選手も一年間のリハビリ期間を経て試合に復帰してきます。選手が辛いリハビリ期間を過ごしているのを知っているため、復帰戦は自分もすごく緊張し、どうしてもその選手ばかりに目がいってしまいます。選手が無事に試合をやりきると嬉しさとともに心底ほっとします。
ラグビーは練習と、実戦での感覚や消耗する体力は全く違い、本来の力を発揮するためには試合出場を重ねていく必要があります。まず数試合、怪我の再発なく試合をこなし、選手が通常のプレーができるまで見守りたいと思いながら、再発を起こさせない手術を常にしなければならないと身の引き締まる思いがします。

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ラグビーリーグワン2023-2024が12月9日から開幕します。今年はフランスで行われたラグビーワールドカップの熱狂を引き継いで昨年以上に盛り上がって欲しいです。ワールドカップで活躍した世界的な選手も数多くリーグワンでプレーします。三菱重工相模原ダイナボアーズも昨年以上の成績を残せるように、猛練習をしてきました。その成果を発揮できるようにメディカルチームもしっかりとサポートしたいと思います。興味のある方は是非スタジアムまで足を運んで熱い試合を見に来て下さい。応援宜しくお願い致します。

ドクターこばの「ルーツ」―妹のこと,その2―

この前,外来中に「ドクターブログ,読んでいますよ」と言っていただいた.以前,スタッフが意外と読んでいることに気付かされたことを書いたことがあるが,患者さんからのコメントは初めてであった.「後悔はいろいろあるけど,その時々にベストを尽くしているから・・・・」と元気づけていただいた.
さて,妹のこと,その続きである.医療技術短大の看護科を受験し,無事卒業となった.私とは4歳違いなので,大学卒業は私の方が先となる.私が大学病院での研修を終え,県内の一般病院に勤務となった頃,入れ違いのように妹が大学病院勤務となった.勤務となった病棟を聞いて驚いた.なんと,整形外科病棟勤務という.この偶然にはとても驚いた.その時点で私は数年後に大学に戻る予定だったので,そのうち兄妹同じ病棟で働くことがその時点で決まったわけである.やりやすくもあり,やりにくくもあり,でも,めったにない偶然に少し感謝した.私が大学勤務の頃,看護教育担当の先生とは,比較的仲が良く(何かと気を使ってもらっていた),妹が看護科であることも知ってもらっていたので,何らかの配慮があったのかもしれない.
当然のことながら,大学勤務の整形外科ドクターは全員,看護師「こば○○」は私の妹であることはわかっているので,ずいぶんドクター達には良くしてもらっていたようだ.特に,のちに私の学位論文の指導医となってもらうことになる,当時医局長の先生にはよく食事に連れて行ってもらっていたようである.その先生には,私もとてもかわいがってもらっていたので,妹も同様に接してもらっていたのだと思う.その辺の事情を飲み込めていない母は当時,「また○○先生と食事って,大丈夫なの?」と心配していたのをよく覚えている.当時は,まだバブリーな時代だったので,その頻度もかなり高かったのかもしれない.心配もごもっともだ.
私の実家は大学病院からそれほど遠くはなく,歩いて20分ほど,車なら10分以内という距離であった.妹は車の免許は持っていたが,原動機付自転車しか所有していなかった.3交代の病棟勤務であるので,天気の安定しない金沢では,雨,雪,また夜間,夜勤後の朝の通勤はそれなりの苦労が伴う.東京に住んで,これくらいの距離なら,何の問題もない・・・・と今になっては思えるが,田舎育ちの父は心配だったのだろう.かなりの頻度で,車で送り迎えをしていたようである.夜中の送迎はとても大変だったと思うが,父の妹に対する愛情が深かった一つのエピソードだと思う.
妹は,考えてみると,母譲りの節度のあるきちんとした女性だと思う.おそらく自分でも自覚しているのだと思う.血液型はずっとA型といわれていたのであるが(生後の血液検査でA型と判定されたようだが,生後すぐは間違えが起こりやすいらしい),何かの機会で血液型を検査した時に,AB型と判定され,とてもショックだったようだ.「心の整理が出来ない‼」と言っていた.ちなみに母と私はA型,父はAB型である.
そんな妹は想像できると思うが,貯蓄もそれなりにあるらしい(父に聞いたので詳細は不明).私は金沢の東方面に一軒家を所有しているが(24年程前に購入した),その購入資金の一部は妹に貸してもらった.当時看護師として働いて,それほど10年程度で,兄に貸せるほどの貯蓄を持っていたことには,驚いたことを覚えている.すでに返済は全て終わっているが,金利を払った覚えはないので,申し訳なかったな・・・・と思っている.

ハチスポオリジナルキャラクター完成

ハチスポ開院20周年を記念して、当院のオリジナルキャラクターが完成しました。

コロナ禍に構想していたものを、当院が誇る”ひろし画伯”に描いてもらいました。
名前は「ハチスポン」と言います。
(以前考えたユニコーンとペガサスを合体させたキャラクターはいまいちスタッフの反応が良くなかったので、再考しました。)

蜂とスッポンを合体させたキャラクターで、蜂のように俊敏に一撃で「瞬時にケガを治療」し、スッポンのように最後まで粘り強く「スポーツ復帰までサポート」するという意味合いを込めました。

ひろし画伯にとても可愛らしく描いてもらいました。
これからHPを含めたびたび登場してもらいますので、みなさんよろしくお願いいたします。

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スポーツ観戦の魅力

最近スポーツ観戦の機会が多くありました山口です。Bリーグ バスケットボール、大相撲、そしてJリーグの試合を観戦してまいりました。それぞれ異なる競技でありながら、現地で感じた迫力と興奮はどれも素晴らしく、テレビ画面からは伝わらない魅力が詰まっていました。

まずBリーグの試合はサンロッカーズ渋谷と横浜ビー・コルセアーズの対戦を観戦しました。会場全体で試合を盛り上げるための手の込んだ演出に圧倒されました。照明や音楽、チアリーダーたちやマスコットのダンスなど、飽きることなく観客を魅了していました。最前列の席で、選手たちのシュートを間近で見ることができ、大きな選手たちのぶつかりあいは非常に迫力がありました。特に横浜の河村勇輝選手の縦横無尽に動き回る姿に感動し、無意識に彼の動きを目で追いかけてしまうほど惚れこんでしまいました。夢中で観戦していた私の背後には、実はクリニックのスタッフもいたらしく、、、 さすがスポーツへの意識高いクリニックです。

Bリーグ

次に両国国技館で迫力ある大相撲を観戦しました。入り口のお茶屋さんでのおもてなしや食事の豪華さに驚きました。番頭さんに案内され座席につくと、間近に力士たちが!! そのぶつかる音や土俵際での迫力ある攻防に圧倒され、格闘技の真髄を改めて感じました。試合後にもお茶屋さんでのお土産がたくさんいただけて、その温かいおもてなしも忘れられません。これぞジャパニーズスタイルでした。

大相撲


さらにJリーグ観戦では清水vs千葉の試合を新国立競技場で観戦しました。開幕30周年記念の特別な試合で、大観衆の中で熱戦が繰り広げられました。47000人を超える入場者数で、J2新記録だったそうです。私も記録に貢献しました! かなり暑い中での観戦でしたが、選手たちのプレーはそれ以上の熱さでした。ピッチ全体が見渡せる観戦しやすいスタジアムのつくりで、緑の芝生を見ながらの試合観戦は心地よいものでした。

Jリーグ

これらのスポーツ観戦を通じて、現地でしか味わえない迫力や興奮、そしておもてなしの温かさを感じました。テレビ画面だけでは伝わらない臨場感や選手たちの情熱に触れることで、スポーツの魅力を再認識しました。屋内競技、格闘技、球技など、さまざまな種目を観戦することで、様々な競技の魅力に触れ、楽しく有意義な時間を過ごすことができました。

スポーツはただ競技を楽しむだけでなく、現地で観戦することで、より深くその魅力を味わえることを実感しました。スポーツイベントは観客も選手も一体となり、感動や興奮が共有される特別な場です。今後も様々なスポーツ観戦の機会を大切にし、さまざまな競技の魅力に触れることで、より豊かなスポーツライフを楽しんでいきたいと思います。

追伸 スポーツ選手のメディカルサポートも忘れてませんよ。ご安心ください。

ドクターこばの「ルーツ」―妹のこと―

前回,妻のことを書いたのだが,,,今までになく何人かの方に,「見たよ」と声をかけていただいた.これまではあまりなかったことなので,とても驚いている.特別なことを書いたつもりもないし,それほど“ドクターこばの「ルーツ」”には興味はないだろうという前提で,思いのままに書いていたので,意外と見られているんだ,,,と認識させられると同時に,今まで同様,よそ行きにならないように,思いのままに書いていきたい.
私には4歳下の妹が一人いる.4歳違いというと,小学校6年生と2年生の年齢差,しかも異性だったので,印象深く残っている兄妹の出来事というのはそれほど多くはない.多分たくさんあったのかもしれないのだが,残念ながらあまり多くを覚えていないのである.
しかし,兄妹が出来る(その時は兄妹か兄弟かわからなかったわけだが)と母親から伝えられたように記憶しているが,その時にはなんとも言えない嬉しさと,体験したことのない大きな出来事が今後起こるんだろうという,不安と期待感があった.私がその気持ちをどのように表現したかは,両親から聞いた記憶はあるのだが,定かではなく,今はもう聞くこともかなわず,残念に思っている.
小学校では2年間同じ学校に通っていたので,先生や同級生の女子達からはそれなりに大切にされていたのではないのかなと思っているが,実際妹がどのように感じていたかは聞いたことがないのでわからない.改めて今度聞いてみることにしようと,今考えている.
中学,高校では4歳違うと全く接点がなくなってしまうので,あまり仲良く話をした記憶はない.しかし,父親は兄弟仲良くしてほしかったようで,部活と遊びで忙しい大学生の私に,高校生の妹の勉強を見てやってくれと頼んできた.何度か英語や数学を教えた記憶はあるが,長続きせず,父親には悲しい思いをさせたのかもしれない.
妹は高校卒業をひかえ,進学先を決定する際に,臨床検査技師になりたいので医療技術短大を受験したいと希望していた.当時,検査技師は看護師と比較して離職率が低く,結婚,出産しても仕事を続けている人が多く,大学卒業後就職先が少なかったようである(当時,父は必死に調べたのであろう).父の意見としては,医療系の仕事に就くのであれば,求人の少ない検査技師よりも看護師が良いのではないかという提案を,愛情を持ってしたはずである.一方,当時私は医学部4年生だったので,父から意見を求められたのだが,特に深く考えることもなく,「それでいいんじゃない」と答えたように記憶している.今から考えると,妹にとっては私の「それでいいんじゃない」は非常に重い言葉だったはずで,結局医療技術短大の看護科を受験することになった.今の私が同じ質問を父からされたら,「検査技師という目標があるのであれば,思った通りに受験したらいい」と答えるだろう.父の娘に対する愛情が,良かれと思ったアドバイスが,妹の夢を奪ってしまったのではないか.それに,私は深く考えることもなく大きな影響を与えてしまったのではないのだろうか.
今となってはどうすることも出来ないが,そこで違う道を歩んでいたなら,妹にはどんな人生があったのだろうか.正解や優劣はないが,やり直せるのであれば,やり直したいことの一つである.つづく・・

ハチスポ20周年を迎えて

八王子スポーツ整形外科はおかげさまで本日5月5日で「開院20周年」を迎えました。
いろいろな事がありました。とても長いようでとても短い20年でした。

初めは僅か7人でスタートしました。
当時まだ殆どの医療機関で紙カルテやフィルム画像が使われてましたが、最初からペーパーレスとフィルムレスにこだわり、電子カルテと画像転送システムを導入しました。
また「スポーツ整形外科」での開業は日本初でした。

見本となるものの無い中、チャレンジの連続でした。
地道に理想のスポーツ整形を追い求めているうちに、同じスポーツマインドの同志が徐々に集まって来てくれて、気づいたら100人を超える職人集団になっていました。
本当に感謝の一言に尽きます。

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(写真は当院主催の「東京国際スポーツメディスンイノベーションフォーラム」にて)

「スポーツ整形外科」で開業したいというドクターが相談の為当院に訪ねて来た時にいつも話すのですが、私は次の2つのことを目標にひたすら突き進んできました。

1)ブレない信念を貫く
組織として一枚岩になるために必要」と考えてます。

ドクター1人ができる事には限界があります。
真のスポーツ医学を行うためには、スポーツに関わるあらゆる職種のプロフェッショナルが力を合わせることが必要です。

収益に目が行って闇雲にクリニックを展開したり、スポーツ以外の事業(交通事故、労災、人工関節、在宅医療など)に手を出すことは、決してしないようにしました。売り上げは上がってもスタッフの団結力は下がるからです。何より「スポーツ」の名のもとに集まってくれたスタッフに失礼に値します。
経営が厳しい時でも「スポーツ」から軸がぶれないようにしました。

逆に、採算は取れなくても、今まで行われていないスポーツに関する新しいことがあれば、どんどんチャレンジするようにして、スタッフのモチベーションを上げるようにして来ました。

ーーー
これに関しては、
本に寄稿してますので、良かったらご覧ください。
スポーツクリニックの先駆けとして
(臨床スポーツ医学2022 vol.39)
ーーー

2)健康で健全な組織を作る
ストレスのない職場環境を作るのに必要」と考えてます。

世の中で最も大切なものは、「健康」
「健康」には身体の健康と心の健康があります。もちろんいずれも健全でなければなりません。

日本は世界一の長寿国で、経済も(一応)世界第3位です。でも人々が本当の意味で幸せになっているとは思えません。何故なのでしょうか。
私は、それは心が満たされていないからだと思います。

どんなに健康体であっても、どんなにお金があっても、どんなに立派な肩書や業績があっても、どんなに事業で成功していても、どんなに沢山のフォロワーがいても、、、心が健康でなければ幸せにはなれません。

心が健康であるために最も必要なもの、それは心から信頼できる「仲間」がどれだけ周りにいるかだと思います。本当に困ったときに助けてくれる、相手が困っているときに真っ先に助けてあげられる仲間がいるかどうかで心の豊かさは決まると思います。今自分の周りにいる人たちの中で、お金や肩書きや名声に全く関係なく、人としての自分を認めてくれている仲間が果たしてどのくらいいるでしょうか?

1日の3分の1 は職場で過ごします。 3分の1 は睡眠、残りの3分の1が通勤、食事、家族との時間です。
人生の意義を考えたとき、職場での充実がとても重要であることがわかります。仕事が単なるお金稼ぎのための機械的な苦痛な時間だとしたら、何と寂しい人生でしょうか。
プライベートはもちろん大事です。でもそれよりも多くの時間を費やす職場での充実度で更なる人生のプラスアルファが決まると思います。

私は、単なる仕事だけの関係ではなく、同じ志を持つ者としてお互いに認め合い信頼し合える仲間となる、そのような第二のファミリーとも言えるコミュニティ形成が自分の使命と考えてこれまでやってきました。20周年の節目を迎えて振り返った時、少しは出来てきているのではと自負しております。

そしてこれから先の20年は、それぞれの仲間(ファミリー)が個々の目標に向かって羽ばたいていくのを見守り、少しでもサポートできればと考えております。
その先々で上手くいっても、挫折して戻ってきても、最後には全てを笑い話にしながら一緒に酒を酌み交わせる、そんな環境を構築していきたいと思っております。

これからもよろしくお願いいたします。

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(イラストは当院スタッフ「田中演画伯」によるものです)

ハーフマラソン大会参加

ドクターの山口です。先日ハーフマラソン大会に参加しました。当日は、参加者も多く、晴天に恵まれました。

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自分自身を追い込むことで、体力や精神力の向上を目指して参加したものの、大会当日はトレーニング不足が露呈し、思ったよりも過酷なレースとなりました。
スタート前は笑顔の山口。

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数ヶ月前から、少しずつジョギングを始め、大会に向けて準備を進めてきました。実際にレースに参加したところ、最初の数キロメートルは足が軽く感じられ、普段以上のペースで走ることができました。しかし、これが落とし穴でした。
準備期間に走ったのは皇居2周ですので最長10kmまで、、、 10km過ぎから徐々に足が痛くなり、周りについていけなくなってしまいました。右足をかばいながら走っていたら、右膝も痛くなってしまい、さらにペースを落とすことになりました。
「絶対に歩かない!」と心に決めていたのですが、ゴール前の写真を見返すと、ほぼ両足接地していますね。競歩としても、遅めのほうです、、、

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この経験から、トレーニング不足が自分にとって大きな問題であることを痛感しました。また、年齢を重ねるにつれて、身体のケアやトレーニングの重要性を再認識しました。これまで無理をしてきたことが、今回の教訓となりました。

今後は、トレーニングをしっかりと行い、身体のケアも怠らず、自分に合ったペースで走ることを心がけたいと思います。年齢に関係なく、自分自身が継続的なトレーニングを続けることで、身体の健康維持や精神面での向上につながることを実感しています。

また、今回の教訓を活かして、次回の大会に向けてより充実した準備を進めたいと思います。
が、正直、次のレースに出たいか? と訊かれると、素直に「はい!」とは答えられない自分がいます。でもスポーツドクターとして、適切なトレーニング計画の策定や、身体のケアにも力を入れ、自分自身が目指す目標に向けて取り組んでいきたいと思います、と宣言しておきます。

最後に、自分自身を追い込むことは、大きな成果を生む一方で、トレーニング不足や過剰な負荷による故障など、様々なリスクを伴うことを忘れてはいけないと痛感しました。自分自身の身体の状態を理解し、無理をしないように、健康的なトレーニングを続けていきたいと思います。皆様もお身体を大事にスポーツに励んでください!

ドクターこばの「ルーツ」―妻のこと―

今まではこの世に生を受け,医師を目指しそれに関わった近親者の話をしてきたが,今回は奥さんのことを書いてみたい.医師を目指し,整形外科医となったことに大きく関わっているわけではないが,約35年間整形外科医として一番近くで支えてくれた人なので,感謝の意味も込めて書いてみたい.
妻との出会いは,大学2年(昭和57年)の5月5日だったと思う.当時大学生の遊びと言えば,ディスコ,合コンなど,かなりバブリーな時代であった.私は高校まではテニス部だったが,大学からはサッカー部に所属し,5月の連休はちょうど3日間ほどのサッカー部の合宿があり,最終日が5月5日であった.とても疲れていて,帰宅して早く休みたかったのだが,友人が合コンのセッティングをしており,人数あわせのために現在某大学の眼科教授のS氏と二人で遅れて金沢市の繁華街に出向いていった.そこで出会ったのが現在の妻である.予期せぬ出会いというか,縁とは不思議なものである.
7年ほどのお付き合いの後,整形外科医になって3年目の12月に結婚式を挙げた.両親のことはすでに書いているので,想像がつくかもしれないが,二人とも生真面目だったため,それまで白黒だった世界が,奥さんと出会ってからはカラーに変わったような錯覚を感じたものである.それが結婚を決めた一つの理由だった.
結婚に至る前,小生の父は何度か妻を呼び出して,話をしていたようだ.私にはもちろん黙ってであるが,後に妻から聞かされた.聞いたところによると,父は私の医師としての仕事をできる限りサポートするように妻に言い聞かせていたようである.家庭のことで私に負担をかけないようにということだったらしいが,今にして思えば,かなり理不尽なことだったと思う.申し訳ない.
当時の若手医師は,先輩医師が帰るまでは絶対に帰らない,病院に長くいるのが当たり前で,それが美徳とされていた.当然帰宅時間は遅く,私の家では特別の役割もなく,妻は文句も言わずにサポートしてくれていた.
恥ずかしながら,出会って40年,人生の2/3は妻と一緒にいたことになるが,危機がなかったわけではない.そのたびに,寛容に対応してくれた妻,そして「子は鎹」とはよく言ったもので,娘の存在によって今の生活が成り立っている.何度も転げ落ちそうになりながら,よくここまで来られたものだと思う.
私は決し褒められるような人間ではないけれど,周囲の人に恵まれて今ここにいるのではないかと思っている.とりわけ,妻には感謝,その一言である.しかし,あまりそれを伝えたことはないので,しっかりと伝えないと・・・・と思っている.

佐藤正裕リハビリ統括、 JOSKAS学会賞受賞!

当院のリハビリ・フィットネスを統括している佐藤正裕PTが昨年のJOSKAS(日本関節鏡・膝・スポーツ整形外科学会)のスポーツ部門で学会賞を受賞しました。

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以前には当院の中井大輔ドクター(上肢主任)、山口徹ドクター(下肢主任)も受賞しており、これまでほとんどがドクターの受賞であった中、当院の理学療法のトップである佐藤正裕PT(リハビリ統括)が受賞したことはとても喜ばしいことです。

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JOSKASは、歴史ある「日本膝関節研究会」「東京膝関節学会」「日本関節鏡学会」が統合して2009年に誕生した、欧米のISAKOSと肩を並べるべくして創設された大変格式高い学会です。
第1回は当院のアドバイザーをしていただいている史野根生教授が大阪で開催されました。
(ドクターブログ参照)

2020年には当院の手術指導をしていただいている石橋恭之教授がJOSKASとJOSSM(日本整形外科スポーツ医学会)の合同開催を実現され、今年はついに両者が統合して「日本スポーツ整形外科学会」として新たにスタートします。

当院は今後も引き続き、臨床の場においてエビデンスに基づく最先端の治療を実践すべく、研究、教育にも力を注いで行きたいと思います。

ドリームジョブ

先日、小学校で自分の仕事を紹介するという「ドリームジョブ」という授業に、講師として参加して参りました。聞けば、小学生たちが「働くことの意味や自分のなりたい職業について」考える授業の一貫として企画されたそうです。

私は医師、整形外科医、スポーツドクターという仕事についてお話をしました。
「整形外科」と聞いて、眼を二重にしたりする美容整形だと思って、聞きに来てくれた学生がいました。
そこで、「怪我を治す、痛みを取るのが主な仕事です。」と説明するところから始めました。

特に自分は、アスリートの治療を学びたいと研鑽を続け、プロサッカークラブで働く機会に恵まれました。
プロサッカー選手と家族のように接し、彼らの健康を守り続ける仕事は緊張感もあり尊い仕事でした。
自分がすべての怪我を治し、痛みをとってしまえれば、選手たちは常にトップコンディションで試合に臨めます。
選手たちがトップコンディションで試合に出て活躍してくれるのは、自分のこと以上に嬉しく感じましたし、勝利につながる仕事だと誇らしく思っていました。
「自分の手で、すべての試合に勝つぞ!」なんて夢を抱いて働いていました。

逆に、自分の家族だと思っている選手たちが怪我をするのを目の当たりにすることは、本当に辛いことでした。
選手の怪我がなかなか治らなかったり、痛みが長引いて試合に出られなかったりする状況には責任を感じますし、チームの勝敗に関わるので胃が痛い日々もありました。
思えば、スポーツドクターになるという道のりは簡単なものではありませんでした。
学生時代、漠然とアスリートのサポートをしたいと考えていましたが、どうやったらなれるのか、そのための道筋や手順が全く見えなくて落ち込んでいたこともあります。
なにか資格を取ればいいというものでもありません。
先輩スポーツドクターたちにお話を伺い、結局自分で道を開拓してきました。

このような経験をもとに、生徒さんたちに「やりたい仕事が今あるとは限らない。」と伝えました。
スポーツドクターだって、Youtuberだって、昔はなかった仕事です。
今小学生の彼らが大人になる頃には、我々が今考えもつかない仕事に就いていると思います。
やりたい仕事をつくっていくのも、彼らにとって素敵なチャレンジになるのではないかと締めくくり、授業を終えました。

他にも講師の方がおりましたので、私の授業を聞いてくださったのは約30名の生徒さんたちでした。
皆、前のめりで授業を受けてくれた姿が印象的でした。
それだけで大満足でしたが、数週間後に、小学校から郵便物が届きました。

感想文集


開けてみると、私の授業をうけた生徒さんたちからの感想文集でした。
頂けると思っていなかったので、ちょっとした驚きとともに、嬉しくて一気に読んでしまいました。
「やりたい仕事はつくればいい」という私からのメッセージがしっかりと届いていたことがわかり、授業をお受けしてよかったと思い、胸が熱くなりました。
また何人かの生徒さんが「楽しそうに仕事の話をしていた。」と書いてくださいました。
自分では気づかなかった一面もお教えいただきました。
楽しそうだなんて、とても幸せなことです。

今は、プロアスリートにおこなってきた治療を、八王子スポーツ整形外科で一般の方々、学生アスリートの方々、スポーツ愛好家の方々に還元しています。
みなさんが本気で困っている痛みや怪我ですから、「楽しく」というと不謹慎ですが、自分のすべてを賭けて患者さんたちに向き合っていけたらと考えています。
それが自分にとっての幸せです。

このような貴重な機会をいただけて、小学校の先生がたに感謝したいと思いました。



ドクターこばの「ルーツ」,伯父のこと

私が今,医師として働いていることに,大きな影響を及ぼした人物として,伯父のことを書いておかなければならない.
そもそも私が何故,医師を目指したのか.10歳の頃だったと思う.トイレで目の前がクラクラしたところまでは覚えているが,どうも倒れて両親に助けてもらったようだ.2か月ほど前から,便の色が黒いことに気づいていたが,黒いものを食べたせいだろうかと考えていた.唇が白いこと,母が下血で入院した経験があったこと,黒便の事実から,病院に行くことになった.
Hbが正常の半分ほどだったらしく,即大学病院に紹介され,入院した.診断は十二指腸潰瘍.小学校四年生の十二指腸潰瘍は相当珍しかったらしく,大学病院だったせいもあり,たくさんの検査が行われた.内視鏡検査,マーゲンゾンデを入れての胃液検査が頻回にあり,薬の粒も大きく,相当苦しかった.そんな中,小児科の主治医のドクターが親身になって診てくれていた.
「こんなドクターになりたいな・・・」と思った.
おそらくオーベン加藤先生,ウンテン吉田先生,教授谷口先生(ちなみに私が金沢大学在学中も谷口教授だった)今でも覚えている.
伯父は父とは10歳ほど年が離れた兄で,奈良県西大寺在住,趣味は英会話で,石川県金沢市の私の自宅に現れると “Hello Takashi !” と挨拶してくる,ちょっと変わり者であった.そんな伯父は,私の夢を知ってか,ことあるたびに英会話や学業の教材をよくプレゼントしてくれた.今にして思えば,それなりの出費であったのだと思うが,なんとなく,私を応援してくれているのだな,という気持ちは伝わってきた.残念ながら,教材を活用することはあまりなかったが・・・・.
伯父と父は,「医学部に進学することは相当な難関である」と思っていたらしく,石川県では珍しく(中学は学区で公立に,高校は県率高校の一斉試験による受験が普通),中学受験(金沢大学教育学部附属中学校)と,高校は奈良東大寺学園を経験させられた.ちなみに東大寺学園は東大寺の横にある名門進学校で,当時は男子校であったようだ(合格していたら,いろんな意味で,人生変わっていただろうな〜と思う).しかも,勉強して受験すれば,合格した後に,ついて行けなくなるかもしれないので,何も準備しなくても良いから受けてこいと.田舎者の公立小学校,中学校の生徒が何の準備もなしに試験に臨んだが,2度とも試験用紙に書かれた問題の意図が全く理解できず,合格する訳もなく,私は2回受験に失敗したことになる.試験時間することがなく,とても退屈だったことを覚えている.
伯父と父には良い経験をさせてもらったな,と今になって感謝している.挫折とは思っていないが,子供心に簡単には医師という職業には就けないのだろうと,なんとなく思わせてくれた大切な人.それが伯父.英二さんである.

コロナの爪痕

八王子天然温泉

コロナのパンデミックは世の中の仕組みを変えてしまいましたね。
これまで当院では人と人との触れ合いコミュニケーションを最も大切にしてきました。
しかしコロナ後の世の中は、なるべく人と接触しない、近距離で話さない、会議はオンラインで画面越し、、、
いままで温かみのあった人間同士の交流がまるで罪悪かのような感覚に慣れてきてしまっています。

家庭内の会話が増えたり、遠方に居ながら仕事ができたりと良い面もありますが、コロナ前の温かい世の中にどこまで戻るのか、人としてこのままで良いのか、以前からマスクが身近で握手や抱擁に慣れていない日本人がいつになったら国際人となるのか、不安な面もたくさんあります。

前置きが長くなってしまいましたが、コロナによる我々にとってはとても身近な弊害が1つあるので今回はそれについて書きたいと思います。

ハチスポは八王子の中で最も賑やかな中心地にあります。向かいには繁華街のランドマークであるドン・キホーテがありその隣に八王子天然温泉「やすらぎの湯」があります、ありました。
そうなのです、今まで八王子の中心でみんなに親しまれていた「やすらぎの湯」がコロナで閉館となってしまったのです。

やすらぎの湯1(550px)

ハチスポより1年早くオープンしていたこの天然温泉は、地下1500メートルを掘って文字通り天然の温泉を提供していたとても安らぐ場所でした。
宿泊施設も綺麗で、たくさんのドクターが宴会の後泊まっていきました。
スーパードクターに限らず、業者やアスリートなど多くの人たちが、ハチスポの帰りに利用していただいていました。

やすらぎの湯2(550px)

外来やオペの後、「30分後に露天風呂集合!」はひとつの合言葉になっていました。
私の中では「歩いて1分のところに天然温泉の露天風呂があるクリニック」がストロングポイントだったのでとても残念です。
震災時に一時停電になったとき、スタッフの人たちと「ほぼ同い年、お互い頑張りましょう!」と声を掛け合ったのがつい昨日のように思い出されます。

福林先生退官パーティー15(550px)

職場の斜め向かい側で、仕事のあとひと風呂浴びて浴衣に着替えて、みんなでくつろいでやる宴会が最高でした。「仕事モードから一瞬にして慰安モードに」、通常だと数時間かけて移動して温泉地に行かないとできないことが日常気軽にできる環境、無くなってあらためて貴重であったことを感じます。

やすらぎの湯3(550px)

ちなみに跡地には、温泉付き分譲マンションが建つらしいです。


アロエ育てます!

先日、アロエをいただきました。

食べるゼリーでもヨーグルトでもなく、苗をいただきました。

2つの苗はどちらも、大きく張り出した葉を何枚もたずさえておりました。

アロエジェルをつくって使い切ってしまってはもったいないと思い、自宅の鉢に植えてみました。


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鉢底石を敷いて、

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多肉植物用の土と、自宅で余っていた腐葉土をまぜ、

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苗を植えました。

写真に、朝顔の鉢も映っていますね。我が家の次男が育てている朝顔ですが、よく育っています。私が小学生のころの朝顔より育ちがいいように思います。

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品種改良?



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化粧石で少し飾ってみました。

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あと、頂いた苗に小さな苗もなっていたので、小さな鉢植えもつくってみました。



植えてから2ヶ月経ちました。多肉植物は、あまり水あげしなくてよいのがいいですね。

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部屋から緑が見えるのは、癒やされます。
育ってるのかな? 変化がなくてやや不安です。

いつか葉を収穫して、アロエジェルを作ろうと思います。

またご報告します!!




ドクターこばの「ルーツ」,私の母 小林尚史

「尊敬する人:両親」,父のことは2回にわたり書いてきたので,今回は母親のことを書いてみたい.現在母はまだ健在であるが,数年前に患った,くも膜下出血の後遺症で,失語症となり,コミュニケーションが全くとれない状態である.こちらの言うことも理解できず,自分でも話すことができないので,さぞかし不甲斐ない思いをしているのだろうと思う.
母は昭和14年,父の生まれた根上町と金沢市の間にある松任市(現在は白山市)の農家の子として生まれた.男3人,女2人の5人兄弟の長女である.金沢二水高校(元は金沢第一高等女学校校舎に新設された金沢第二高等学校)の出身で,高校時代は合唱部に所属していたらしい.当時,二水高校と言えば合唱部と言われていたようで,歌うことは好きだったようである.私が小学校の時は,音楽の先生が熱心で,PTAにコーラス部があり,学芸祭の時には母が舞台で歌ってくれていたのを今でも覚えている.その影響か,両親の勧めで,私は小学校5,6年生の頃,金沢少年合唱団に所属していたが,このことを知っている人は少ない.
母の血液型はA型で,きれい好きで,とてもきちんとした真面目な性格であった.趣味は多彩で,合唱だけでなく,民謡,洋裁,和裁,俳句,書道などをたしなんでいた.特に書道は師範として,自宅で生徒をとって教えていたようである.小生の金沢大学整形外科の名誉教授と話すと,必ず母の話になり,「お母さんは達筆だったからなー」と褒めていただいている.着物の仕立ても請け負っており,近所の呉服屋さんからの仕事をもらって,縫い物をしていた母の姿が目に焼き付いている.
母は几帳面であるがためか,何でも根を詰めてやるために,時に体調を崩すことがあった.私が小さいときに(何歳だったかは覚えていないが),母が吐血し(ストレスによる胃潰瘍だったらしい),即日入院となり,暗い病院の待合室で,父と一緒に「今からどうする・・・」と途方に暮れていた状況をなんとなくであるが覚えている.私が中学の頃,親友の母がくも膜下出血で倒れ,程なく命を落とした.その時,身体がそれほど丈夫ではない母が,同じような病気を患わないかととても心配になったことがある.数十年後,まさか母が同じ病気で命は取り留めたものの,失語症で車椅子生活になるとは・・・何かできることがあったのでは⁇と後悔している.
母に対する後悔の念,できることならしっかりと謝罪をしたいと思っていることが一つある.私が高校の頃,小学校単位の校下に小中学生対象の「子ども会」というものがあり,そのお世話をさせてもらっていた.仲の良かった「さち」のお母さんが素敵な方で,良くしてもらっていた.私の母との会話の中でそのお母さんの話になり,私が「素敵なお母さんがいてね,・・・・・」と話したとき,いったい母はどんな思いをしたのだろうか.微妙な空気感となったが,その時は受け流してしまった.だが,きっと寂しい思いをしたに違いない.言うことはできるが,伝えることのできない「ごめんなさい」である.

ひろし画伯

今回はハチスポが誇る画伯を紹介します。

「田中演(ひろし)」画伯
ハチスポでは医療アシスタントとして、中央材料室でのオペ器材の準備・洗浄・滅菌、病棟の整備などを行なってくれています。
自宅のアトリエではさまざまなジャンルの絵画を描いており、得意は鉛筆画だそうです。

田中画伯1

ハチスポカフェオープンの際には、鉛筆でハワイの州鳥「ネネ」を描いてくれました。
これが鉛筆で描かれているとは思えないほど、繊細で素晴らしいです。

田中画伯2

彼の絵画があまりに素晴らしいので、カフェの中に「ひろし画廊」を作りました。
スタッフはいつもそこを通るたび癒されてます。

田中画伯3

数々の名画の中でも一際目立つ彼の作品

田中画伯4

見かけた方も多いと思いますが、先日のスポーツ医学検定のポスター画もひろし画伯によるものです。

田中画伯5

スタッフの掲示板(黒板)にもチョークで亀を描いてくれました。

現在、ひろし画伯と「ハチスポ4コマ漫画を連載で作成していこうか」と打ち合わせ中です。
出来上がりましたら、ホームページに掲載したいと思います。
おたのしみに。

爪切り

誰しもみなさん、爪を切るかと思います。
爪を切ったあと、指先の感覚が変わります。
これ、些細なことですが、自分はとても気になってしまいます。
長めに残しすぎたとき、深く切りすぎてしまったとき、なんとなく違和感が残ります。
切ったあとに、ヤスリで研磨して、、、それでもなんとなく気になります。
まあそんなもんだろうと思って、今まで過ごしてきました。

整形外科医として、患者さんに触れたり、手術をしたりするので、指先の感覚は些細なことにもこだわります。
清潔を保つためにも、かなり短めに切っています。
おおよそ切ってから2日目の指の感覚がベストなので、週に2回、手術の2日前に切るようにしてきました。
爪を切る曜日を決めるというのは、ルーティン化すれば良いことなのですが、少し面倒でもあります。
あるとき、SUWADAというメーカーの爪切りが素晴らしいと知りました。
調べてみると、ニッパー型の爪切りです。

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「切った爪が周囲に飛んでしまうな。」というのが直感です。
購入は見送り。
しかし、爪切りが素晴らしいってなんだろう?
気になってきました。
でもまあ購入は見送り。

しばらくしてから、実物を見る機会がありました。
そして驚いたのです。

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まず爪切り本体が美しいのです。鋼の色、表面の仕上げ、全体のフォルムに目を奪われてしまいました。
そして購入。
本体の美しさだけで満足でしたが、実際切ってみて、また驚きました。
普通の「パキッ」という切れ方ではないのです。
「スッ」と切れるのです。もはや斬れるという文字のほうがしっくり来るほどの切れ味なのです。
そのため、斬ったあとの爪が遠くへ飛びません。手元に落ちます。
さらに指先の違和感も全くないのです。斬ったばかりなのに、2日目のベストな感覚なのです。
刃物の斬れ味は、これほどまでに大事なことなのかと。
そして、これのおかげで、いつでも爪が斬れると感動。
楽しくなって、次々に両手の爪を斬り終わりましたが、もっと斬りたくなるほどでした。

刃先をみてみると、精巧に作られているのがよくわかります。刃を合わせると、境目が見えなくなるくらい、ピッタリなのです。

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これもまた美しい刃先です。
新潟県三条の職人さんの手作業で作られた爪切り。
たかが爪切り。されど爪切り。
山口が大切に使っている刃物のお話でした。


ドクターこばの「ルーツ」,私の父―その2―

前回,父のことを書いたが,書き切れていなかったので,もう少し父の話題にお付き合いいただきたい.でないと,私と私の娘のルーツを理解することができないからである.
父は群馬大学の繊維学科を卒業し,石川県金沢市の北日本紡績金沢工場の工場次長として働いていたことはすでに書いたと思う.北日本紡績は,1948年10月金沢市に設立され,1954年に東証2部に上場,2005年白山市に本社を移したが,2008年には一度上場廃止となった.2013年に再び上場され,2020年からは本社機能を一部東京に移している.創業には石川製作所の創業者が関わっており,現在も筆頭株主であるということである.
私が生まれた1962年頃は,父が働いていた金沢工場が本社で,上場して間もなかった頃になる.業績を上げるためだったのだと思うが,優秀な人材を探すために全国を奔走していたようである.人材がそろった頃には比較的満足がいく業績を上げられていたと聞いており,業績を上げるのには人材育成が重要であることを父から何度か教えられたことを覚えている.その後,私の大学入学を機に,北日本紡績を定年前に中途退職し,個人事業主となった.社名は「桐生エンジニアリング」,大学があった桐生市からとったものと思われ,東洋紡績,ユニチカなどの大企業の紡績機械の部品調整や改良を請け負っていた.群馬県桐生市,群馬大学には思い入れが大きかったのであろう,幼稚園の頃だったと思うが,父の恩師で当時102歳の方のお宅に伺ったことがある.程なくして,その方はなくなったと聞いており,父が青春時代を過ごした群馬県桐生市は,私にとって特別な存在である.
父はなぜ会社を中途退職したのであろうか.私が大学に入学したのが1980年なので,会社の業績としては悪くはなかったのではないかと思う.一度年始の挨拶に,幼稚園あるいは小学生の頃であろうか,父とともに会社役員の方の家に伺ったことがある.父の上司は工場長,そして創業者の石川製作所役員の方ということになるだろうが,子供心にその場に父の居場所はないのではないか・・・・と感じたことがある.私が,医局の人事を離れ,八王子に拠点を移した経緯と似た理由がそこにはあったのではないかと想像している.「血はあらそえない」とはこのことであろうか.
私の娘は,小さい頃から「デザイナーになりたい」と言っており,金沢美術工芸大学・工芸科(染色を専攻),ファッションデザイン科大学院を卒業し,ニット折りの機械の会社である和歌山の島精機に入社した.旦那さんとは職場で出会い,和歌山でずっと過ごしていくのだろうと予想していた.私は仕事として医療を選択したが,娘は父と同じ繊維業界.石川にも糸の発注のために出張で来たりしていたので,父と関わった人やその子孫の方と交流があったのかもしれない.そして,娘は今,旦那さんと転職を決意し,私が東京に来てしばらくして,東京へと移り住んできた.やっぱり「DNAだなー」と思っている,
父は油絵,水墨画,晩年は水彩画をよく描いていた.私も絵は比較的うまい方だと思っており,また,手術はある意味芸術に近いものだと思っている.娘は美術工芸大学出身で独特の感性を持っており,まさしく蛙の子は蛙だなーと思う.
そんな父は娘の美術工芸大学進学や線維と関係のある仕事についたことを知ることなく他界してしまったが,生きていれば,娘とどんな話をしたのだろうと考えると,日だまりのようなほっこりと暖かな気持ちになれるのである.

ハチスポカフェ

厳格なコロナ感染対策を患者様、クライアント様にお願いしている以上、我々スタッフもさらに厳重な感染予防対策を行っております。全スタッフの毎日の体温、酸素飽和度、体調をデータベースにまとめ一括管理し、また同居人や接触者の状況に関しても逐一報告する事を徹底しております。全体での飲み会や宴会も一昨年の1月より一切行っておりません。そのような努力の甲斐あって、職場をクリーンな聖域に確保出来てきました。

こうした中、唯一気になるのがスタッフのストレスです。
当院スタッフは、全員一丸となって国際フォーラムやオンラインセミナー、勉強会などの行事に取り組んでくれておりますが、さすがに歓迎会もなければ飲み会もないということだとストレスも溜まり良い仕事ができなくなります。

当院は開院以来スタッフ間のコミュニケーションを最も重要に考えており、これまで毎月のように様々な行事を行って参りました。しかし新型コロナの感染拡大により、今まで大事にしてきた直接のコミュニケーションが取りにくくなってしまいました。職場と自宅の往復のみだと、一緒に仕事をしている一体感や連帯感が失われてしまいます。

約3年前、みんなが寛げる癒しの空間として「ハチスポカフェ」を創る企画を立ち上げました。当初は患者様やクライアント様も利用できる場所と思っていたのですが、ちょうどオープンの頃に新型コロナが流行し始めたためスタッフ専用の福利厚生施設に変更しました。

ブログ(ハチスポカフェ1)
カフェの雰囲気は15周年旅行以来スタッフ全員が好きなハワイアンなものとしました。

ブログ(ハチスポカフェ2)
例によってオリジナルのロゴも作成し、3つのエリアがあります。

モンステラ エリア
十分な距離をとって勉強や研究のできる図書館スタイルのメインエリア
ブログ(ハチスポカフェ3)

プルメリア エリア
集中して作業ができるバーカウンタースタイルのサブエリア
ブログ(ハチスポカフェ4)

ホヌ エリア
リラックスして休憩の取れるラウンジスタイルの癒しのエリア
ブログ(ハチスポカフェ5)

壁にはハワイ現地の様々な物品のほかにスタッフ全員でハワイに行った時撮影した写真が飾ってあります。(当院の画伯が描いたハワイの絵も飾ってありますので、それはまたの機会にブログでご紹介いたします。)

コロナで今までのように一緒に飲んで騒ぐことができなくても、同じ空間や時間を共有する場所があるだけで、不思議と一体感が生まれてくるものです。

昼休みや仕事が終わった夜に、スタッフが休憩や勉強などに活用している光景を見るととても幸せな気分になります。

ブログ(ハチスポカフェ6)

ストレスフリーの空間でスタッフの連帯感が生まれ、スポーツ医学の新たな研究アイディアが生まれることを願ってます。

Esportsとメディカルサポート

ドクターの山口です。
今回は、「esports」いわゆるゲームについて書きます。


とあるゲーマーさんから、人づてに「ゲーマーが怪我をすると病院を受診しづらい」という話を聞いて、なんだか悲しくなりました。

つくづく患者さんは色々な思いを重ねながら、病院受診に至るものです。

「ゲームで怪我をしたと伝えるのが恥ずかしい。」とのこと。

「そんなことないですよ。」と言いたいけど、なるほど、その気持ちはわからないでもなく、、、

 

とある私立中学の文化祭で、生徒たちが企画したスマブラ(スマッシュブラザーズというゲームの略称)の大会がおこなわれ、その後、先生たちが「とても盛り上がりました。時代は変わりゆくものですね。」と、ゲームという企画に怪訝な顔もせず嬉しそうに話されたと言います。

「学校でゲーム?」と驚かれた方、「なにが駄目なの?」という意見の方、「素晴らしい事ですね」という方、色々な意見があると思います。

 

ゲームという文化は、私が思っている以上に変革の中にいると考えさせられました。

 

私自身、ゲーマーではありません。ゲーセンに通うこともありません。

マインクラフトをちょこちょこやるくらいです。

一時、スマホゲームに廃課金しかけましたが、今はやめています。

最近、ゲームは「esports」と呼ばれ、世界大会がおこなわれ、高額な賞金が出ていることは知っているというくらいの距離感です。

動画サイトでesportsの様子を検索してみると、自分にはできない卓越した能力を垣間見ることができ、素直にスゴイと思いました。

ただゲームはスポーツなのか?

という議論は今もなお続いています。

 

私が思う、esportsの魅力は、「平等」です。

老若男女問わず、同じルールで競い合えます。

身体障害があっても、同じルールで競い合えます。

(コントローラーの自作などは必要になるかもしれませんが、、、)

男子・女子・オリンピック・パラリンピックの垣根を超えて真剣勝負ができる。

今はスポーツかどうかはわかりませんが、esportsは究極に平等な競技だと思います。

 

ただ選手たちを取り巻く環境は、非常によろしくありません。

「10時に起床して、明け方の4~5 時に就寝するまで、ぶっ通しで練習します。

長い休憩はとりませんし、ゲームをしながら食事します。席を離れるのはトイレの時だけ。それを平日は毎日繰り返し、週に1 回休みます。」

https://www.au.com/sports/esports/article_interview_dng-R41N/

中国/オンラインゲーム界のヒーローが23 歳で現役引退したというニュースも聞かれます。2型糖尿病と診断されたからだそうです。

https://kagonma-info.com/c0016/uzi-league-of-legends/

プロフェッショナル精神からか、選手たちは非常に追い込まれた環境でesportsに打ち込んでいます。

 

楽しいからesportsを始めて、周囲から称賛され、そして職業として、限界まで練習に励む。強要されているわけではないでしょうが、「女子陸上選手は月経が止まるまで走るのが当たり前。」という過去の風潮とオーバーラップしてしまいます。

2 型糖尿病をわずらうまで身体を壊さなくとも、esportsの選手たちは肩・肘・手のオーバーユースによる腱鞘炎などに苦しんでいるとも聞きます。

ダンス系ゲームでは、膝や足の怪我もあるでしょう。

長時間、モニターを見続けることによる眼精疲労や頭痛。

現代人の生活習慣病が重症化したものが、esports での選手生命を脅かすリスクになっているのです。

 

「第19 回アジア競技大会 2022 中国・杭州」では、正式なメダル競技として実施されることも決定しています。

2024 パリ五輪や2026 愛知アジア大会ではどうなるのでしょうか?

そしてesports 選手に対するメディカルサポートはどうなっているのでしょう?

選手村のポリクリニックを受診するesports 選手たちが、今スポーツと呼ばれている競技同様、十分なサポートを受けられるといいなと思います。

 

個人的には、好きなこと、様々なことに皆が打ち込めるのが、社会の豊かさの証だと思っています。

スポーツにしろ、ダンスにしろ、esportsにしろ、打ち込んでいるものが怪我で打ち込めないなら、できる限りサポートしたいものです。 痛みなど身体のことでお悩みがあれば、ぜひご相談ください。




ドクターこばの「ルーツ」,私の父

以前,ハチスポのプロフィールに「尊敬する人:両親」と書いた記憶があるが,患者さんから「感心ですね」といわれたことがある.何故,尊敬する人を両親としたのか・・・もちろん尊敬はしているが,息子らしいことを何もしてあげられなかったという後ろめたさがそうさせたのかもしれない.ドクターこばの「ルーツ」,今回は父親のことを書いてみたい.

父は昭和7年生まれ,読売巨人,ヤンキースに在籍した松井秀喜で有名な石川県根上町の出身で,5人兄弟(女3人,男2人)の末っ子として生まれた.幼少期のことは聞かされていないので詳細不明であるが,桐生市にある群馬大学の理工学部の卒業である.群馬大学はおよそ100年前に繊維産業の最新技術を教授する学校(桐生高等染色学校)として生まれたらしく,当時,線維や染色の大学の学部はほとんどなかったと聞いている。卒業後は石川県金沢市にあった北日本紡績に勤務し,私が物心ついたときには工場次長であった.

私は昭和37年(1962年)11月の生まれであるが,母が出産したとき,父が病院に現れたのは,1週間後であったらしい.当時勤務する紡績会社の社員をリクルートするために全国を回っていたことや,兄の薬局の業績不振の後始末が原因であったようだ.幼少期には父の仕事場や取引先の工場によく連れて行ってもらっていた.織機が糸を織っている音,移動の列車が雪で立ち往生し,駅舎で途方に暮れたこと,その時父が言った「どうする?」というつぶやき,ビールを飲まされ笑いが止まらなくなったこと,断片的にしか覚えていないが,とてもかわいがってくれていたのだなあと改めて感じる.

小学校の時,私の夢の一つはプロ野球選手であった.当時は,王貞治,長嶋茂雄が活躍していたが,現在のように学童野球のチームは皆無であり,同級生と学校の運動場で毎日のようにソフトボールをしていたものである.月1度くらいだろうか,近くのテニスコート(旧,電電公社,現在のNTTのコート)で,父の投げたボールを打つのがとても楽しかったのを記憶している.

時に父はとても厳しかった.中学の時には医師になりたいと宣言していたが,その道は簡単ではないことを父は悟っていたのだろう.3年生の夏休みに,テニス部の1年年下の女の子から「盆踊りに行こうよ!」と,お誘いの電話がかかってきた.その数時間後,父は会社から慌てて帰ってきて,どう説得されたかは覚えていないが,彼女と盆踊りに行くことはかなわなかった.後日談であるが,彼女の父親の人工股関節置換術は私が執刀した.しかし,彼女に会うことはできなかった.

そんな父は,72歳で肺がんにより他界した.たくさん注がれた愛情に息子らしく答えることは何もできなかったけれど,stage 4の肺がんを手術した後に,一緒に行った平湯温泉の宿,錫杖での笑顔は今も忘れない.「父親でいてくれてありがとう」と一度言ってあげたかった.

第3回東京国際スポーツメディスンイノベーションフォーラム

2021年8月、当院主催の「第3回東京国際スポーツメディスンイノベーションフォーラム」(小林尚史会長)が開催されました。
今回はコロナ感染拡大の影響で2020東京オリンピック・パラリンピックが1年延期されたのに伴い、我々の国際フォーラムも2020年は見送り1年延期となりました。
ちょうど東京オリンピックとパラリンピックの合間の期間に初のオンライン形式(一部ハイブリッド形式)で行われました。
第3回国際フォーラム表紙540
今回も今まで同様全て我々の手作りで行いました。
初のオンライン開催でライブ配信もチャレンジしたため、前日の夜中までリハーサルを行い大変苦労しましたが、その分得るものも多くとても貴重な経験をさせてもらいました。
第3回国際フォーラムa540
オンラインで目指したのは統一した一体感で、背景の画像にもこだわりました。ご協力いただきました講演者の先生方には本当に感謝しております。
第3回国際フォーラムb540
今まで同様プログラムは他ではない切り口でアプローチした内容になりましたが、とりわけ視聴者に好評だったのは、1日目の夜遅くに行った「エクストラセッション」のライブ配信でした。
第3回国際フォーラムf540
単なるオンラインの学会ではつまらないと考え、新たな試みにチャレンジしました。今回のテーマである「繋ぐ」を正に実践する臨場感満載の実況中継です。
内容は、局所の症状を全身を診ることによって治療していく「ハチスポイズム」の紹介で、我々が日々行っていることなのですが、初めて診察する患者に決められた時間内で果たして治療効果が得られるのか、とても緊張感あふれたライブ配信となりました。
第3回国際フォーラムg540
ドクターの診察の生配信の後、理学療法士に申し送り、繋いでいきます。
第3回国際フォーラムh540
引き続き理学療法士の治療の一部始終を生配信し、実際の治療効果を患者様に確かめます。
第3回国際フォーラムd540
上肢の症例に続き、下肢の症例も同様にライブ配信を行いました。
臨床に携わっておられるドクターや理学療法士などの医療従事者の方々には参考になったのではないかと思っております。
第3回国際フォーラムe540
ぶっつけ本番の企画でどうなることかと思いましたが、2例ともしっかりと結果が出せて胸を撫で下ろしました。
第3回国際フォーラムc540
今回のプレミア講演は、Jリーグの村井満チェアマンでコロナ禍においてJリーグの運営を遂行された理念と実績についてお話を伺いました。タイムリーなインタビューでとても勉強になりました。
第3回国際フォーラムi540
アスリートセッションは、ハチスポに新しくできたハワイアンな会場で行われ、すでにスタッフ一員同様のお馴染み「朝日健太郎」元日本代表選手が司会役を兼ねていただき、我々の表看板「山口徹」先生とともに、いつも通りの歯切れの良いトークが場を盛り上げてくれました。
第3回国際フォーラムj540
ゲストは現在スポーツキャスターとして活躍されている「寺川綾」元競泳日本代表選手で、今回のコロナ禍での東京オリンピックの選手視点からのコメント、現役時代の怪我やトレーニング、これからのスポーツ発展に向けた提言などいただきました。
第3回国際フォーラムk540
次回第4回のフォーラムは、熊井司会長で来年開催予定です。
その間皆様とは引き続き「スポーツ医学コミュニティ」で繋がって行きたいと思います。
(次回の詳細は決定次第、「スポーツ医学コミュニティ」、「スポーツ医学オンラインセミナー」等にシェアしていく予定です)

東京オリンピック・パラリンピックを終えて

日々の仕事や雑用に追われ、プログがほとんど更新できておらず申し訳ございません。


ついに東京オリパラ無事閉幕しました。


当初はまさか無観客の開催とは誰も想像しませんでしたよね。

コロナで開催自体が危ぶまれた中、何とか開催にこぎつけることができ、現場のスタッフは本当に大変でしたが、選手にとっては本当に良かったと思います。


そして終わってみるとオリパラで急激な感染拡大を起こすことがなかったことも評価すべきことだと思います。

当院からもたくさんのスタッフが関わっており、特に夏の忙しい時期でもあったため、オリパラの期間中クリニックに残ったスタッフの負担がとても大きくなってしまいました。


しかしオリパラの現場で経験を積んだスタッフたちは皆ひと回り大きくなって帰ってきてくれました。現場で得た自信と経験を必ずクリニックの患者さんやクライアントさんに還元してくれるものと信じております。


ミル挽き珈琲

念願の自動販売機が遂に導入されました。

ミル挽き1b


当院のスタッフにはコーヒーマニアが多く、以前から外来や手術室の一角に職員用のネスプレッソカプセルを各種準備してあります。

ネスプレッソ2bネスプレッソ1b

コーヒーは毎日35杯飲むことにより、健康にも良いと考えられております。


でもどうせ飲むなら、より美味しい、できれば挽きたてのコーヒーを飲みたいですよね。

スタバやタリーズ等の作り置きのコーヒーではなく。


キャンプ場で自ら挽いて飲む朝のコーヒーは至福の味がします。

キャンプコーヒーb


最近はコンビニでも挽きたてのコーヒーを販売してますが、どれもいまひとつな感じです。


私は以前より高速道路のサービスエリアでしかなかなか飲めない「ミル挽き珈琲」のファンで高速に乗った時は必ず飲んでいます。

(気分転換でドライブがてらサービスエリアにコーヒーを買いに行くこともあります。)


ミル挽き2b

そんな「ミル挽き珈琲」愛が暴走し、遂に(と言うか無理矢理交渉し)自販機がハチスポに導入されることになりました。


ミル挽き3b

しばらくは職員専用の休憩スペースに設置していたのですが、患者様やクライアント様にもご利用いただけるよう、このたび共有スペースに移設しました。

そのため3階のエレベーターの扉が開くといつもコーヒーの良い香りがすると思います。


皆さんもハチスポに来られた時は、是非3階で降りてみてください。

コーヒーが苦手な人でも、きっとこのコーヒーは好きになると思いますよ。(ちなみに紅茶や甘い飲み物も美味しいものが入っています。)


遅ればせながら,Dr.こばの自己紹介です.

koba

ハチスポに赴任して,はや6か月が経ってしまいました.自己紹介もせず申し訳ありません.

原稿は6月には出来ていたのですが・・・・まさか57歳で東京に出てくることになるとは思ってもおらず,発見の多い半年でした.これから少し半年を振り返ってみたいと思います.

まずはともあれ,自己紹介です.


この度,「ハチスポ」のスポーツマインドを持つ仲間として加わることになりました小林尚史と申します.昭和62年(1987年)金沢大学を卒業し,金沢大学整形外科に入局しました.学生時代から関節外科,スポーツ整形に興味を持っており,入局後.昭和63年(1988年)WesternOntario大学留学から帰国した下崎英二先生(金沢大学)に肩関節鏡を教わりました.当時,現在普通に使用されているアルスロポンプ,シェーバー,高周波電気メスは普及しておらず,無理を言って手配した初めての器具,初めて見る肩関節内の景色に感動を覚え,肩関節外科医として生きていくことを決意しました.

しかしながら,肩関節鏡視下手術を学ぶ教材は少なく,世界一伝統のある肩関節学会で聞いた知識や,数少ない肩関節鏡の成書でなんとか独学で関節鏡視下手術を習得していきました.その課程において,「肩関節の手術の時は30分で良いので,関節鏡視をさせて欲しい」という若輩者の申し出を快諾し,見守ってくれた多くの先輩医師達に感謝しています.

腱板断裂,反復性肩関節脱臼,投球障害肩,凍結肩に対する鏡視下手術だけでなく,人工肩関節置換術,筋腱移行術等の直視下手術にも着手し.前任のKKR北陸病院では2500例の肩関節手術を行ってきました.

一方,スポーツ医学への関わりを持ちたいと思い,低侵襲の鏡視下手術を行ってみたものの,アスリートの傷害を鏡視下手術で治療することの限界も感じ始めていました.肩関節の世界では,古くから全身の機能を診ることを推奨する気風があり,解剖学的破綻を低侵襲で治療する外科医としての技量を磨くこと以外に,人間の身体機能を評価するメソッドを学ぶ必要があると感じていました.

そんな中,出会ったヨガを応用した動作習得のメソッドを学び,コンディショニングとレーナとしての活動を通して,アスリートの治療に幅と自信を持つことが出来るようになりました.

肩・肘関節疾患を中心としたスポーツドクターという立場と,コンディショニングショニングトレーナーという立場からサポートを行えるのが,私の強みです.

北陸から関東に拠点を移し,新たな出発をしました.今まで培った経験を全てつぎ込み,全てはアスリート・ファースト,アスリートの短期,中期,長期の人生を豊かにするための最善策を提案できるようにサポートしたいと思っています.医学的常識だけでかたづけられない悩み,必ず解決策はみつかると私は信じています.


よろしくお願いします.

第2回東京国際スポーツメディスンイノベーションフォーラム

ブログへの掲載が大変遅くなりましたが、
昨年秋に「第2回東京国際スポーツメディスンイノベーションフォーラム」が第1回より参加者、規模を拡大し開催されましたので、その時の様子をご報告いたします。

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今回のテーマは「Return to play」
怪我からのスポーツ復帰に関し、様々な角度から討論を行いました。

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まず「Orthopedic up to date」として部位別の最新情報及びRTPの講演が行われました。

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ラグビーWCで日本中が盛り上がっている時期でしたので、ラグビーに代表されるコンタクトコリジョンスポーツで問題となる「脳震盪」「肩関節脱臼」にフォーカスを当てたシンポジウムが行われました。

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海外からの脳震盪の専門家も招聘し、活発なディスカッションが行われました。

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今回新たなアプローチとして「スポーツテクノロジー」「スポーツビジネス」といった分野からも最新の情報提供をしていただきました。
「スポーツ」には我々が通常接している「スポーツ医科学」以外の数多くの切り口があることを改めて知ることができ、様々な分野の専門家とコラボレートしていくことが今後はとても重要だと感じました。

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アスリートトークセッションでは、第1回フォーラム同様「元日本代表」の選手たちによる現場の生の声と本音を語っていただきとても楽しく充実したセッションとなりました。

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最後は「ラグビーWC]「東京オリンピック・パラリンピック」誘致にご尽力された日本のスポーツ界の重鎮であられる河野一郎先生に「スポーツの力」という壮大なテーマで貴重なご講演をしていただきました。

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今回もこのフォーラムのコンセプトであるインタラクティブな討論が行われました。

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閉会後も新たな試みとして、スポーツに関わる全ての人が集まり勉強、討論、情報交換できるネットサロン「スポーツ医学コミュニティー」を創設し、現在活動を行なっております。

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第3回は2020年秋を予定しておりましたが、新型コロナウイルス感染拡大および東京オリンピック・パラリンピックの開催延期に伴い、当フォーラムも延期させていただくことになりました。詳細が決まり次第アナウンスしたいと思います。

細部へのこだわり

ユニクロの話をします。


といっても服の話ではありません。

ご存知の方も多いと思いますが、20206月銀座に新店舗がオープンしました。

街なかのいわゆるユニクロとは違い、”UNIQLO TOKYO”という名を冠した旗艦店です。


https://www.uniqlo.com/jp/ja/contents/feature/tokyo/

 

「マロニエゲートって、ケーキ屋さんのアンジェリーナがあったところかな? もうモンブラン買えないんだ。」と、ぼーっといくつか記事をみたり、PVをみたりしていました。


https://www.youtube.com/embed/2JsoW6xjt3w 

佐藤可士和さんがディレクター、ヘルツォーク&ド・ムローンさんがデザインだそうです。佐藤可士和さんのことは存じ上げております。ヘルツォーク&ド・ムローンさんは存じ上げませんでしたが、表参道のPRADAの店舗設計などをされていた方。独創的な建築が目を引きます。今回のUNIQLO TOKYOも大々的なリノベーションを施すのでしょうか?


今回、UNIQLO TOKYOが入ったマロニエゲートは1984年にパリスタイルの百貨店として建設されました。売り場面積を最大化できるように、同じ作りのブースが細々並んでいたのを記憶しております。さきほどのムービーに一瞬映るんですが、設計図の梁が規則正しく並んでいて、目を引きます。

今回、リノベーションするにあたり、デザイナーが現地をみて、躯体コンクリートの美しさに気付いたそうです。そして躯体を見せるために、天井や床を大胆に取り除くと決めたと。


36年前の建築の躯体が美しい? 目に見える部分ではないのに?」



UNIQLO TOKYO (https://www.uniqlo.com/jp/ja/contents/feature/tokyo/ より)


たしかにムービーを見直すと、規則正しく並んでいる躯体が、なんとも美しいのです。配置もそうですが、躯体そのものの作りが良いようにみえます。

UNIQLO開店にむけて、躯体そのものの表面を新たに装飾したのかと思ったら、そうではないようです。


36年前の建築そのものが丁寧な施工だったと推測できます。

目に見えない部分の仕事に手を抜かない、日本人らしいこだわりを感じます。

素晴らしいですね。

 

我々も、膝や肩という、外見では見えないカラダの中身の手術をします。

外見では見えませんが、MRIやエコーなど、いろいろな技術で中身を垣間見ることはできます。

画像検査を通じて、他のドクターの「こだわり」や「哲学」を感じることはよくあります。そういったものが無いオペは、、、省略

例え、だれかが中を覗いたとしても、「きれいな仕事してるなあ。」と思われるような手術を心がけたい、自分も胸を張って見せられるような手術にこだわりを持ちたい、と思いました。

 

UNIQLO TOKYOの躯体を、いつか見に行きたいですね。(不要不急の外出自粛してますが。)

UNIQLO TOKYOでしか購入できないユニクロXセオリーの限定商品を買い占めて、メルカリに転売してる方々へのクレー、、、以下省略。

 

 

試練

アウトドア派にとって昨今の新型ウイルス感染症のため外出できず、ずっとインドア生活を強いられるのはかなり苦痛である。

普段よりもSNSを見る機会が増え、しばらく書けていなかったブログに気づき、あわてて書いている次第です。


ニュースでは「中国が諸悪の根源」「日本の対応が最悪」「韓国の感染拡大」などを見かけ、それに伴う心無い中傷コメントの嵐に愕然とする。巷ではマスク、アルコール消毒液が消え、ティッシュやトイレットペーパーの争奪まで起こっている。

人類の愚かな一面を見て虚しい気持ちになる。


トイペ売り切れ画像cc


目に見えないものを信じたがる私は、この新型ウイルス感染は「神が人類に与えた試練」ではないかと考えている。

今こそみんながまとまる時。今までいがみあっていた者同士が手を取り合って一致団結するチャンスを与えられているのに。

現実は、共通の外敵(ウイルス)の前になおも他国を非難したり、内輪揉めしたり、、、


人間の愚かさ(戦争)


目を近くに向けると、われわれスポーツ医学の世界でも似たような光景を見かけることがある。どこの治療が悪いとか自分のところが最高だとか。あくまでも目を向けるべきところは選手なのに、お互いに足の引っ張り合いをしている。人間の愚かさ、弱さなのだと思う。


誰が偉い、誰が優れている、ではなく、常に謙虚にお互いを尊敬しあって、唯一選手のために、一致団結して力を合わせた時、最高の結果が得られるものと信じている。


最後に、現在コロナウイルスに感染し闘病している方々が回復に向かうこと、亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。




馬越PT「学会賞」受賞!

先日横浜で行われた「第30回日本臨床スポーツ医学会学術集会」において、当院の馬越PTが「学会賞」を受賞し表彰されました。

馬越4

大変名誉なことで、これから益々、研究・臨床に活躍してくれることと期待しています。

馬越2

当院の多くのスタッフが、自主的に、業務終了後も夜遅くまで毎日のように勉強している姿をみていましたので、自分のことのように嬉しく感じます。

馬越1

毎月のように「ケースカンファランス」や「文献抄読会」をやったり、不定期でも毎年「技術講習会」や「セミナー」を継続して行っている成果が形になって現れたものと思っています。


そなエリア

当院では年に2回ほど防災訓練をして、診療中の災害に備えております。とある日りんかい線に乗って、そなエリアで自主トレしてきました。

直下型地震が起きると72時間は自分で身を守る必要があります、と教わってきました。

偶然、レジ袋の三角巾化について発見

整形外科医として、試しておかねばなりません。

小樽での日本肘関節学会

第31回日本肘関節学会@小樽に参加させて頂きました。今回の学会は特別で、会長が当院に定期的にお越しいただいている和田卓郎先生なのです。

和田先生は外来も手術もとてもスマートで(評議員懇親会で同門の先生が仰っておりました。まったく同意です)、学会運営もとてもスマートな印象でした。私はエコーセミナーのインストラクターをさせて頂きました。
さらに出来事をご紹介します。
今年10月6日開催の第2回東京国際スポーツイノベーションフォーラムを宣伝したり、
山側も海側もNice viewです。

有名な詩人でもあった札幌医大(和田先生の母校)整形外科の初代教授河邨先生のコーナーの左上には教え子であった作家・渡辺淳一先生の写真があります。 私は高校2年時に「白夜」を読んで医師志望しました。おススメです。

第1回東京国際スポーツメディスンイノベーションフォーラム

国際フォーラムを開催しました。

構想2年。実際に海外に勉強に行き、従来の既存の国内学会とは一線を画すフォーラムを目指しました。
プライベートクリニック主導のスポーツ医学分野での日本で初めての国際学会となりました。

毎月ミーティングを行い、会場選びから、企画運営すべて手作りで行いました。
いわゆる学会屋は一切通していないので、1から10までとても大変でしたが、もともとクリエイティブな職人の集まりなので、楽しみながら準備することができました。
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もっとも大変だったのが、初めて立ち上げた国際学会なので、いかに告知するかということでしたが、幸い、われわれのコンセプトや取り組みに対し、多くのドクターやコメディカル、一般の方々から賛同を得ることができ、最終的には参加者を制限するまでに至りました。

第1回フォーラムの様子をご紹介します。
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集合写真(懇親会)c 
来年は、ラグビーW杯日本大会の真っ只中に開催する予定です。
さらに内容に磨きをかけ、より国際化を目指そうと考えております。

このフォーラムは参加していただいた皆様と一緒に作り上げていくスタイルのフォーラムです。
来年も積極的なご参加をお待ちしております。

第2回東京国際スポーツメディスンイノベーションフォーラム
2019年10月6日(日)京王プラザホテル(東京)



手術実績

よく手術実績として、年間何例と病院で提示してありますが、患者様から見てそれが多いのか少ないのかなかなか判断が難しいと思います。

また、症例数は多くても総合病院や大学病院のように執刀するドクターの数が多ければ、ドクター1人当たりの経験値は低くなってきます。


ただ闇雲に数をこなしていても駄目で、もちろん大切なのはその質である事は言うまでもありません。

特にスポーツ整形外科の場合、いかに最後までフォローするかがとても重要なカギになります。


手術件数を比較してそれを病院の実力と評価する方法は、一般の人が好む方法ですが、ある1つの側面を表していると考えることもできます。

毎年、本屋の店頭にはこのような本が並べられてあります。


手術件数ランキング雑誌550 


資料の元となっているのは、厚生労働省が発表しているデータですので、正確な数値と思われます。


いい病院雑誌中身1c550 

いい病院雑誌中身2c550 


 ★厚生労働省が指定する難易度の高い手術件数データ

【靱帯断裂形成手術(関節鏡下によるものを含む)、観血的関節授動術等】  

2012全国ACLランキング表 


2013全国ACLランキング表 


スポーツ整形外科の分野で、花形であり高度な手術と位置づけられている「前十字靭帯再建手術その他」に関し、国から毎年調査が入っておりましたが、2017年度より調査対象がベッド数が10床以上の施設に限られたようです。

当院は8床しかありません(開院当初は2床)ので、調査が入らなくなりましたが、毎年東京都では最も多くの症例数をこなしております。


2012東京都ACLランキング表


2013東京都ACLランキング表 


当院はベッド数が少ないため、入院期間を極端に短縮して、術後は近隣の宿泊施設を利用する「欧米方式」をいち早く取り入れました。最近では日本の総合病院の体制も徐々に入院期間を短縮する傾向になってきたため、多くのドクターより問い合わせをいただきました。


欧米では当院と同様の入院規模しかないクリニックで、当院同様数多くの症例をこなしているところがいくつかあります。理学療法士に開業権利がある国では、クリニックで手術のみをやり、その後のリハビリに関しては開業している理学療法士に丸投げしているところもあるようです。しかし、前述したようにスポーツ整形外科では、いかに理学療法士やトレーナーと連携して選手をスポーツ現場復帰までサポートするかが最も重要なカギとなります。


当院では、当院と同じ理念でスポーツ選手の治療を行なっている海外の施設とも連携して、情報交換しながら最先端の治療を患者様に提供できるよう努めて行きたいと思っています。


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スタンフォード大 山田知生先生 ハチスポ講演

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世界最高学府であり、また世界最強のスポーツ大学とも賞される「スタンフォード大学」。
そのスタンフォードスポーツ医局に最も長く在籍し、組織を束ねる山田知生先生にお越しいただき、ハチスポで講演をしていただきました。

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スタンフォード山田2c 

呼吸、運動、食事、日常動作、入浴、睡眠・・・
回復の神髄を知り尽くしたリカバリーのプロフェッショナルによる講演は、同じくアスリートを扱っている我々にとって大変刺激的で勉強になりました。

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現代社会で目標を見失っている若者が多い中、山田先生からハチスポスタッフの(無駄に?)明るく輝いた瞳を賞賛していただき、スタッフ一同ますますこれからの仕事にやる気を見出せた1日となりました。

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また、若くして世界に飛び出した山田先生を見習い、ハチスポも世界に羽ばたきたいと感じた1日でもありました。

集合写真(スタンフォード山田)cc 


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第18回ESSKA in Scotland

GW明けの最中、スコットランドの学会に出席させて頂きました。きっかけは当院にいらしている素晴らしい先生に、こんな学会あるよと勧められたからです。
ポスターをまとめる段階で自分の頭の中が非常に整理されました。

ヨーロッパスポーツ外傷•膝•関節鏡学会ですが、日本人参加者も多く見られました。肩や肘に関してはヨーロッパでもマイナーな学会の印象を受けました。

城好きなので訪問しました。

明日は羽田空港からクリニックに行きたいと思います!

香港その1

柏レイソルのアジアチャンピオンズリーグでの戦いは続いています。

3月は香港への遠征でした。

香港は2月の韓国と打って変わって、温暖な気候で過ごしやすい日々でした。

ホテルには様々な国々の方々が滞在しており、国際色豊かで、どこにいるのかわからないくらいでした。

驚いたのは、スギ花粉が飛んでいませんでした。

この時期に花粉症を気にせず、外出できるのは忘れかけていた幸せでした。

(このあと、立ち直れないほどのショックを受けましたが、、、)

 

街を行き交う人々が、結構な確率で「白い恋人」の土産袋を持っているのに気づきました。

最初は気にも留めなかったのですが、「あれ? みんなで北海道行ったのかな?」と思うほどです。

実は、北海道へ行くということが香港の方々にとってステイタスなんだそうです。ですので、

「白い恋人」の土産袋を持っている

  ↓

北海道へ行ってきた

  ↓

わたしゴージャスな旅行してきました。

というアピールになるんだそうです。

 

という前フリのもと、同僚たちへ私もお土産を買ってきました。



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「白いシンフォニー」

れっきとした香港製品です。

 

「白い恋人」がステイタスであるがゆえの、よく似たお菓子。

八王子へ逆輸入いたしました。

 

あとはタイガーバーム。


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赤と白があるのをご存知でしょうか?


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頭痛用(白)と関節痛用(赤)なのだそうです。


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匂いは、どちらもアレですけどね。

よく見ると、シンガポール製と書いてありました。

香港土産ではないという、、、

 

今回は、つまらないお話でした。

ショックを受けたのは、またの機会に、、、



韓国遠征その2

我々が到着してから、雪の降りつづく遠征でした。
街中はこんな感じ。


雪2


試合当日、雪は止んだものの、猛烈な寒さの中でのナイトゲームでした。


試合会場


写真でもわかるように青々とした芝生がみえます。
でもこれ実は凍っています。
スパイクで歩くと、カツカツと音がするほどです。
もともと芝生に緑の塗料を散布する慣習があるようで、外観は美しいピッチなのですが、今回は氷の上での試合でした。
ゴールキーパーがダイブして怪我しないのか?
本当に不安になるようなピッチでした。

試合は前半柏が2得点、後半全北が3得点で、大逆転負け。
前後半でピッチを入れ替えますので、実はすべての得点は同じサイドで起きていたことになります。
実は凍っていないサイドのピッチで全得点が生まれました。
相手も同条件ですので、3得点取った相手を褒めるしかありません。しかし、後半凍ったピッチで思うようにプレーできない中、ケガを恐れず前へ進む選手たちの姿は自らの身を削る戦士にみえました。
やはりアジアでの戦いは、何が起こるかわかりません。


救急車


救急車が常にスタンバイしているのも、壮絶な戦いを予感しているように見えました。
(救急車はたまたまではありません。アジア・チャンピオンズリーグの大会規定により、公式練習ならびに試合では救急車の配備が義務付けられています。Jリーグには無い規定で、より高い安全管理に思われます。日本では救急車が比較的すぐに呼べる環境にあるという社会的背景の違いもあるかもしれません。)

まだまだアジアの試合は続きます。実は、この投稿も香港で書いております。
山口が不在となる期間も増え、皆様に御迷惑をおかけすることもあるかと存じます。
クリニックとは連日、連絡を取り合っておりますので、すぐ対応出来ますから、ご安心ください。



韓国遠征その1

八王子スポーツ整形外科でサポートしている柏レイソルは、2018シーズン アジア・チャンピオンズリーグで戦います。
Jリーグに加え、アジア各国への遠征も重なります。

約1ヵ月前、2月中旬に韓国へ遠征に行ってまいりました。
ちょうど平昌冬季五輪が開幕した頃でした。
そのため韓国へのフライトは満席でした。
お隣の席の女性もオリンピック観戦女子の方で、楽しそうにスポーツ新聞をご覧になっておられました。
ということで、私も平昌へ行ってきました!!

平昌うそ_

ウソです!!

金浦空港から平昌へ向かうのとは逆方向になる全州という都市での試合でした。
南に向かったはずですが、、、全州も雪でした。

雪1

韓国人選手に「全州って雪降るの?」と尋ねたところ、「滅多に降らない!」と流暢な日本語で答えてくれましたので、すぐ止むと思いました。
予想はハズレました。
練習グラウンドも雪、、、

練習場


試合はどうなるんでしょうか、、、 つづく

ロンドン Fortius Clinic 視察旅行

なかなかブログを書く暇がないのですが、ここのブログは1ヶ月更新がないと
スポンサーの宣伝が冒頭にきてしまうということなので、久しぶりですが時間が取れたので
昨年秋に行ったロンドン視察旅行の様子をスナップ写真とともにご紹介しようと思います。

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昨年の秋、国際学会を開催しているプライベートクリニックがロンドンにあると聞いて、
好奇心旺盛な我々スタッフは、すぐさまロンドンに向かいました。

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30年ぶりのロンドン、歴史を感じさせる街並みは以前と変わらずとても落ち着きます。
昔より照明が派手になった感じですが、とても綺麗でした。

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学会場も由緒あるところのようで、なかなか良い雰囲気でした。

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まず最初に驚いたのは、学会場の内装の派手なこと。
日本の垂れ幕をぶら下げる前時代的な学会場とは比べ物にならないくらいクールで、
とても刺激になりました。

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主催者のDr. Andi Williamsはヨーロッパのスポーツ医学のボスで、
我々の視察を快く受け入れてくれました。

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彼のクリニックにも招待してもらい、隅から隅まで、オペ室の中も視察して来ました。

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その後、日本料理屋で食事のご馳走もしてくれて、日本顔負けの「おもてなし」に圧倒されました。

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視察のあとは、イングランド「アーセナル」や代表チームで活躍している日本のカリスマトレーナー
の山本さんと合流し、また血管カテーテル治療の第一人者である当院の奥野先生の弟子Dr.Nickも合流し、
盛り上がりました。

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最後はアーセナルの施設見学も行い、とても充実した、中身の濃いロンドン旅行となりました。

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日本のお株を奪う「おもてなし」の歓迎を受けたので、今年の9月の当院主催の国際学会では
しっかりお返しをしたいと思います。

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テーマ : 医療ニュース - ジャンル : ニュース

ハチスポ看護師、快挙!

当院は「スポーツ整形外科」というだけあって、スタッフのほとんどは
今まで何らかのスポーツを真剣に取り組んできています。

そのお陰で、クリニック内はいつも、スポーツマンらしい明るい挨拶と
さわやかな笑顔で溢れています。

そしてハチスポで働きながら、今でも現役でスポーツを行っているスタッフ
も少なからずいます。

そんな中、昨年末にカヌーの世界選手権出場の為、1カ月ハチスポを
お休みしたスタッフがいます。

当院の外来エース看護師Sさんです。

その時の様子を紹介します。

タラちゃんブログ1

タラちゃんブログ4

タラちゃんブログ3

タラちゃんブログ2

本人はとても謙虚で表に出すことを嫌がるのですが、
とても栄誉あることなので紹介させていただきました。

外来でひときわ日に焼けている看護師さんを見かけたら
   「世界選手権、お疲れさま!」
と声をかけてあげてください!

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カレー好き

休みの日は仕事の準備とたまにお昼ご飯を作ります。
カレー好きを公言しており、条件反射でカレーを注文してしまいます。キーマカレーを作ってみました。手術と料理は作業に丁寧に、と心掛けます。

ロンドン出張

少し前になりますが、ロンドンへ出張いたしました。
個人旅行ではなく、院長をはじめ6名のドクターで遠征してまいりました。
その間、クリニックをお任せしていたドクターの皆様には、本当に感謝しております。

目的は、Fortius International Sports Injury Conferenceという学会に参加するためです。
スポーツのケガに関する国際会議なのですが、主催しているのはFortius clinicというスポーツ整形外科のクリニックなのです。
通常、国際学会といえば、大学単位で主催するものですが、クリニックで学会とは実にユニーク!
とハチスポの我々も感銘をうけて、思わず大勢で参加してしまいました。

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https://www.fortiusclinic.com/news-events/fortius-international-sports-injury-conference-2015/

アスリートへのインタビューやLiveでの膝前十字靭帯再建術のデモンストレーションなどもあり、有意義な学会参加でした。
参加されている方々に伺うと、理学療法士とドクターの交流の場としても活用されているとのこと。
Clinicを設立されたDr. Williamsや学会の広報官の方々ともお話ができて、「クリニックで学会を主催する意義」みたいなエネルギーを存分に味わって、日本に戻りました。

なぜ「クリニックでの主催」にこだわるのか?
それは、我々もTHE 1st TOKYO INTERNATIONAL SPORTS MEDICINE CONFERENCEを開催することにしたからなのです!!

http://tokyoism-innovation.org

今回のロンドン出張での経験を活かし、日本のスポーツ医学界に今まで無かったような、交流の場をつくっていきたいと決意いたしました。

2017夏 野球

今年は冷夏だったとは言え、運動部の学生さんにとっては練習練習の毎日は大変だったことと思います。我々スポーツドクターも夏休みは大忙しです。私は趣味は仕事と野球ですので、今年は7月に高校野球の西東京の予選を休日に可能な限り観戦いたしました。

目的は当院で加療した・している選手達のチェックです。4日行きましたが、すべての日にスタンドで、切符売り場やらあちこちで父兄の方や患者さん(さすが私の外来にいらしている方は野球好きが多い)にお声を掛けていただきました。時には切符を切っている受付の高校生が患者さんだったりもしました。油断できません。初日は短パンにサンダルだったのが、一応長ズボンにスニーカーに変わっていました。 

多摩地区は野球場の雰囲気がサイコー
細かいことは書けませんが、兎に角、感動の嵐でした。皆さんの元気な姿が私のエネルギーです。(単に自分が感動したいだけです。)
8月は一息つこうと思いつつ、社会人に、大学の新人戦も行きました。またも感動いたしました。今後も抜き打ち視察に参りますが、好きなだけですのでいつでもお声かけ下さい。

ラッキーなナイスガイ

当院見学希望者は非常に多いのですが、業務に支障が出るため
基本的にお断りさせていただいているのが現状です。
申し訳ございません。

今回特例として、とてもラッキーなケースがありました。
ナイスガイでしたので、少しご紹介します。

当院顧問であられる福林先生のご紹介で1週間研修に来られました。
ちょうど「八王子まつり」「納涼会」などが予定されていた週でしたので、
非常に充実した毎日だったと思います。

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ハビ ストッキングs blog

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関節鏡手術も、ACL再建、半月板縫合、骨軟骨移植、肩バンカート修復、
肩腱板修復、野球肘手術、足関節靭帯再建など、大変勉強になったようです。

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当院の治療内容や体制がとても衝撃的だったようで、
この1週間で将来の自分のスペインでの方向性が決まったと
熱く語って帰って行きました。

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同じスポーツマインドを持ち、方向性が同じで、ハートの熱い人たちとは
国籍、業績、職種を問わず、コラボレートして行きたいと思います。

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学会発表での著作権について考えてみる

学会での「著作権」について。
医学にしろ、科学にしろ、学会というところは最新の知見をお披露目する場所と昔教わりました。
ですので、他の研究者の最新データであるスライドを撮影するなんで、無礼極まりないとも教わりました。
かつて、実際に撮影していたデータを没収されている方を他の学会会場にてお見かけしました。

しかし時代は変わります。
学会では参加者もスマホで撮影、タブレットで動画撮影、という姿が溢れかえっていました。
SNSが広まり、情報共有が簡単な昨今です。
本学会も #FFMEDというハッシュタグを宣伝しており、参加者もハッシュタグをつけて、学会内容をツイートします。
ツイッターに載っけて、discussion とい光景が普通なくらいです。



twitter


↑TwitterでFFMEDを検索するとこんな感じ


時代は変わりました。
こうなってしまうと、学会のスライドに最新のデータは出せないかもしれません。
ほぼ論文になっていて、原稿を提出しているくらいの鮮度のデータを出す方が自然にも感じました。

そしてスライド中に使われている映像や画像ですが、写真を撮られてSNSに載ることまで考えると、著作権フリーなものを使うのが妥当なようですが、今はむしろ世界的に有名なサッカー選手の画像を貼りまくりで出処、出典も不明な感じです。
もはや著作権は存在しないのかもしれません。
取り締まりなんて、煙たいことを言いたいのではありませんが、ルールが追いついてないのかなと思いました。
Youtubeの動画の肖像権のように、各SNSも画像認識して、本人や撮影者に使用料が支払われるような仕組みすら考えたほうがいいのかもしれません。

そんな感じがしました。



バルセロナの食事

さて2つ目は食事です。
バルセロナは魚介類をよく目にします。
大半は観光客目当てなんでしょうけど、それでも美味しいシーフードは嬉しい限り。
お米も食されますので、日本人には馴染みやすい食事環境です。

バルセロナでは基本、テラスで食事しました。

テラス

むしろ屋内だと閉塞感を感じてしまいます。
メニューは、パエリアとか言っても普通ですので、まずはタパス。
小皿の料理を複数頼んで皆でシェアします。

タパス

ハモン・イベリコとかパン・コン・トマテとか日本でも目にするメニューが並びます。
定番を頼んでもレストランによって味が違いますので飽きません。

あと、バルセロナだけなのでしょうか? 
小さなフランスパンにハムなどを挟んだ「ボカディージョ」というサンドウィッチをよく食べます。
油断すると、3食ボカディージョになることもあります。

ボカディージョ

↑ 油断していました。食べかけで申し訳ありません。

なれないうちは、硬めのパンで口の中を切ります。
軟口蓋というところを傷つけると、旅行中ずっとヒリヒリしています。
でもそんなことを気にしないで笑っていられるのがスペインという国です。




バルセロナ

少し経ちましたが、5月にスペイン バルセロナへ行きました。
刺激的な滞在で、4日間はあっという間でした。
まず天気が素晴らしい!

バルセロナ天候

「ここに住んでいたら、朝から晩まで笑ってられるんだろうなあ。」と来るたび思います。
梅雨とか無いですしね。
今回の目的は学会参加なのですが、学問的な話はアレなので、、、

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それ以外のテーマで書いてみます。
まずは「空港」。
成田空港のパシャパシャと回転する案内板は「スチュワーデス物語」を彷彿とさせるノスタルジックな良さがありましたが、今はもう無いのでしょうか?

世界には空港マニアなる方々がおります。
彼等の間では、世界一芸術的なのはオランダ スキポール空港なのだそうです。
行ったことのないワタクシとしては、フランス シャルル・ド・ゴール空港がお気に入り、、、でした。
宇宙船のような独特な空気感と、曲線が織り成す造形物の数々にはデザインが宿っています。
PAULのバケットも買えますし、

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ラデュレのカフェでマカロンを頂くこともできます。

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全くをもってファビュラスな空港なのですが、トランジットで遅れがでて、途端にヒトが溢れカオスに。

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もう少し、待合を広くしておくれよ。
一方、バルセロナ エルプラット空港は開放感のあるつくり。
独特なグレーグリーンの色調が映えます。

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空港は国の玄関でもあります。
デザインのある空港に降り立つと、にわかにテンションも上がります。
日本の空港も海外のお客様をお迎えする雰囲気作り、2020にむけ、もっともっと良くして欲しいです。

ねぎぼうず

ゴールデンウィークは好天でした。私(中井)は、小田原の一夜城跡に行って参りました。小田原城が良く望めました。

下りの道すがら、オペ室でよく見る道具を見かけました。
何に使う道具でしょう?

答え…関節鏡下で骨を削る道具

2017年度新入スタッフ歓迎会

今年も有望な新人スタッフが入りました。
皆さんよろしくお願いいたします!

2017新人歓迎会集合写真cc

ちなみに当院はスタッフの元患者さん率が非常に高いクリニックです。

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